思い出を切り取って、ずっと忘れないでいたい。 be my last... 屋上のベンチに寝そべりながら、慎はぼんやりと空を眺めていた。 初夏の太陽は、全身を照らしながら慎の瞼をだんだんと重くしている。 仲間達が競って教卓に近付く藤山静香の授業も、慎には大した意味を持つものではなく、まったりとした時間を過ごそうと今日は久しぶりに授業をサボった。 早く会いたい。 彼女がそのうち、自分を説教する為にここへ訪れる事も、予想済みだった。 そして、もうあと僅かで夏休み。 教師に学生と同じ、長い夏休みは無いと言えども、今までより少しだけ一緒にいられる時間が増えると思うと、柄にも無く待ち遠しかった。 もう、目を閉じてしまおうと慎が意識を手放しかけた時、遠くの方からどたどたと階段を上がる足音が寝そべった身体に響いてきた。 この走り方は間違いない。――久美子だ。 「沢田っ!」 久美子はおさげを揺らしながら顔を覗き込んできた。 眉間には皺。口はへの字。 その不機嫌そうな顔を見て、慎は重い身体を起こす。まだ頭は半分眠ったままだ。 目線だけ、久美子に合わせた。 その顔は他の生徒の前でも見せる、教師としての顔。 「さーわーだー!お前また藤山先生の授業サボって!」 久美子は胸倉を掴んで自分に詰め寄る。 本気で怒っているようだった。 「今日だけ・・・明日は出るよ」 我儘だと思いながらも、釈然としないもやもや感が胸に残る。 「明日ってお前なぁ。確かにお前が成績がいいのは認めるよ。だけどそれはサボっていい理由にはならない!」 久美子の怒りはもっともだった。正論ではあっても、反論する気にはなれなかった。 やっと意識がはっきりしてきて、自分を掴んでいる腕をはずして久美子を隣に座らせる。 怒りは治まっているとは思えなかったが、このまま彼女に説教されるのは避けたい。 今は誰もいない屋上に二人きりなのだ。 「英語の授業はお前いねえじゃん」 ぼそりと漏らした言葉は風の音に掻き消されてしまうような小さな声。 けれど一番の理由。 「サボって此処いたら、久美子が来ると思ったから」 「でもなぁ!」 学校は二人でいても怪しまれない唯一の場所。 外へ出られない秘密の関係も、学校ではいくらでも言い訳する手立てはある。 けれど、久美子の周りにはいつだって友人達がいたから、二人きりになれる時間など殆ど無い。 まして、誰にも見られないでいられる場所と時間なんてやたらにあるものでは無かった。 「ちょっとだけ」 慎は久美子を抱きしめた。 見ているのは初夏の太陽だけ。 今だけ、は。 「あれ」 慎が、気付いたように久美子の水色のジャージの上着のポケットに手を伸ばした。銀色の四角い物体が半分顔を出している。 「デジカメ?」 それを手にすると久美子が目を輝かせた。一瞬にして教師の顔は息を潜めて、最近見せるようになった女の顔になった。 「あーーー!忘れてた。そうそう!お前にこれを見せに来たんだよ。ミノルがさ、福引で当てたんだけど、誰も使い方が解らなくて」 久美子が、へへ、と頭を掻いてそのデジカメを差し出した。 やれやれといった表情で、慎はそれを馴れた手付きで操作し始める。 「電池は入ってるんだろ?ここが電源で、このボタンを押せば撮れるから」 「なんだ、意外と簡単じゃないか」 「・・・説明書読まなかったのかよ」 「身体で覚えるのがあたしのやり方だからな」 ふふん、と得意気に鼻を鳴らした久美子の顔を見て、慎はゆっくりため息を吐いた。 「久美子、ちょっと離れて」 「ん?」 思い付いたように久美子を立たせて、カメラを構えた。 ――ピッ 一瞬の隙をついて赤いランプが点灯する。 レンズの裏側にある小さな画面には、眼鏡の奥の目がまん丸に見開いている久美子が写っていた。 「ちょ・・・!いきなり撮るなよ!」 目の前のレンズを右手で覆って、左手では自分の顔を隠しながら久美子が慌てた。 「折角の一枚目だし、いいじゃん。ホラもう一度、笑って」 からかい口調でもう一度カメラを構えると、つられて久美子がにかっと笑う。 再びシャッターボタンを押した。 今度は、太陽のような笑顔の写真。 慎は、この彼女のこの笑顔が好きだった。 自分にはこんな輝かしい笑顔は一生できないだろう。けれど、この笑顔を見ているだけで、穏やかで、幸せな気分になれる。 撮り終わった後に数秒固まっていた久美子は、我に返って今度は口を尖らせた。 「最初の一枚はお前と撮るって決めてたんだぞ!」 「・・・へっ」 思わず漏らした間抜けな声に、自分でも驚いた。 久美子の口から飛び出したその言葉に、口の端を上げてにやりと笑う。 これでも大分ポーカーフェイスを保とうと、崩れそうな顔を必死で堪えていた。 慎は、おもむろにカメラの操作ボタンをいくつか押して、立ち上がった。風が強くなってきて、固めの黒髪が流される。金メッシュもちらちらと揺れた。 「じゃあ、撮ろ」 普段、野田がカメラを構える中でも、極力写真に写るのを避けていた。カメラに目を合わせるのが昔から苦手だった。けれどそれも、隣に写る人間が久美子なら・・・悪くないのかもしれない。 屋上のフェンスの上に、そっとカメラを置く。設定を変更したので5秒後には自動でシャッターが押される筈だ。 慎は、久美子の手を引っ張って、隣に立たせた。少しかがんで、久美子と顔の位置を合わせる。顔をここまで近づけてカメラを見るなんて、初めてだった。 胸が高鳴って、鼓動が久美子に聞こえてしまうんじゃないか――そんな心配までしてしまう。 ――その時だ。 突然久美子が名前を呼ぶ。そして手を伸ばしてすばやく慎の胸倉を掴んだ。 引き寄せられて向かい合わせの状態になると、久美子は力の入った眼差しで自分を見つめる。 ほんの1秒後には、背伸びをした久美子の柔らかいものが慎の唇に触れていた。 その瞬間、ピッ・・・という電子音が小さく響いた。一瞬の柔らかな感触は、その音が聞こえると同時に慎から離れていく。 「授業には、出ろ」 うわずった声でそれだけ言って、久美子はパタパタとおさげを揺らしながら、慌てて屋上を後にした。 突然の、あまりの予期せぬ出来事に、慎は呆然と立ち尽くしたまま。 自然と指が、彼女の唇が触れた、自分のそれに吸い寄せられていく。 「強烈だっての・・・」 漏らした言葉は熱を帯びて、風の吹きつける屋上に溶けていった。 next |
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