非日常は、日常に変わる。











be my last...











 朝、教室に一歩踏み入れると久美子は必ず一番後ろの席に視線をやる。
 その生徒はまるで自分の視線を待っているかのように、漆黒の瞳を自身に向けていた。
 吸い込まれてしまいそうな程の深い色に捕らえられてしまった以上、逃げ出すことは難しいだろう。


「ほらお前ら席に着けー」
 一秒にも満たない目線での会話の後は、また再びいつもと同じ事を。
 二人の事は・・・秘密なのだから。
「今日も一日、頑張れよ!」
 教室の騒音にも似た会話が少し静まった瞬間を見計らって、久美子は気合いの入った言葉を投げ掛ける。
 生徒達は、各々返事をしながら再びざわつき始めた。
「じゃあまた、お昼休みな」
 にかっと笑って久美子は教室をあとにしようと生徒達に背を向けたが、ドアの前で立ち止まって振り向く。
 視線を感じたからだ。
 じっと見つめながら、慎は金メッシュを揺らしていた。
 これは、日常?
 そんな疑問も思わず頭に浮かんだ。ぬるま湯の中にぷかぷか浮かんでいるような感覚に、あれからずっと溺れている。
(しあ、わせ?)
 思わず久美子は自らに問うた。
 けれど慎と再び視線を交わすと、何もかもどうでも良くなるような、そんな気分になって改めて教室を後にした。




 昼休み、久美子は屋上のベンチに腰を下ろして風を受けていた。
 あの日から、放課後二人で過ごすことが多くなっている。
 待ち合わせは図書室。
 そして・・・二人で慎の家へ行く。それが日常。
 それ以上の肉体の関係があるわけではないのに、今までとする事は変わらないのに、心の奥底で感じるのは少しの戸惑いと、生徒と特別な関係になってしまった罪悪感。
 二人の関係に変化があったあの日は、とにかく沢田慎という人間の近くに居たい一心だった。けれど、日を追うごとに不安が育っていく。
 久美子は重く息を吐いた。

 これでいいのか悪いのか。

 けれど、いくら考えても答えは出ない。
 沢田慎への想いは否定できないのだから。



 不意に名前を呼ばれて振り向くと、そこには慎の姿があった。
「何してんの?」
 ポケットに手を入れたいつものスタイルでこちらを窺っている。
「風にあたってたんだ」
「弁当も食わないで?」
 久美子の足元には重箱がちょこんと置かれていた。
「これから食べるんだよ。お前もいるか?」
「てつさんが作ったやつなら」
「失礼な!どういう意味だよ!!」
 久美子が吠えると、慎は「そのまんまだよ」と口の端を上げて笑ってみせた。

「どした?」
 隣に座った慎に、久美子は顔を覗き込まれる。
「べっ・・・別に」
「嘘だろ」
 自分の言葉を遮って慎は短く答えた。
「嘘じゃない!」
 覗き込まれた態勢から一変して、久美子は目線を逸らす。
 すると久美子は慎に顎を掴まれて、くいっ・・・と慎の顔の方に顔を向けさせられた。
 少し眉を寄せた慎の顔がじっとこちらを見る。いつかの並木道であったやり取りを思い出しているのか、静かに怒っているように感じた。
「だって」
 久美子は感情が高ぶって、思わずくしゃりと顔を歪める。
 そのまま吐き出すように想いを吐露していく。
「解らなくなるんだ。やっぱり駄目だよ、あたしと沢田は、教師と――」
「その前に、ただの人間だろ」
 慎は、久美子の頬に手をやり、親指を這わせた。これ以上は何も言うなと言わんばかりに唇に触れる。

「支えあって、愛し合って、何が悪い?」
 両手で頬を包み込まれた。
「さ、わだ・・・?」
 瞳の奥を見つめられて、言葉が続かない。
「求めあって何がいけないんだよ?」
 慎が、苦しそうに眉を寄せるのが見えた。
(なん、で・・・お前は自分に正直なんだよ。どうして、私の事をすぐ見抜いちゃうんだよ?)
 胸の奥から何かが込み上げてくるものが解る。






「我慢しなくて、いい」

 その言葉に、涙が溢れた。









 授業を終えて、図書館へ行くのはもう日常。
 居眠りしながら待っているのは、沢田慎。

「沢田」
 がらり、と扉を開けて少し震えた声で、呟く。
 慎は、前髪をかきあげながら身体を起こした。
「お疲れ」
 慎は柔らかく笑みを浮かべてこちらを見た。
 ゆっくりと近付いて、慎の手を取る。
 狭い図書室の中、誰も居ない空間。
 初めて繋いだ、手と手。



 沢田慎が好きな自分と、教師としての自分の間で揺れ動いていた。
 けれど。
 久美子は少し俯いて、声を絞り出した。


「あたしは、教師である前に、人間だったんだ」











 繋いた手に力を込める。
 もう、このまま後戻りなんて出来なかった。






















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