自分の気持ちは、自分が理解するのが一番難しいのかもしれない。 be my last... 「沢田」 返事は無い。 自然と目が行く教室の一番後ろの席には、横を向いた沢田慎の姿。右手には乱雑に包帯が巻かれていた。 気になってどうしたのかと尋ねようとしたが、今までに無いオーラを纏う慎に話し掛けることが出来ずに久美子は出席簿に再び目を移す。 「・・・島津」 「はいよ」 平静を装って、次の名前を呼ぶ。周りも気にした様子は無かった。 慎が出席を取る時に返事をしないのはいつもの事だったから。 「・・・じゃあ、ホームルームはここまで」 お前ら真面目に受けろよ?と念を押して、久美子は教室から出る。「はーい」と嘘くさいテンションの返事を背中で受けた。 これは日常だ。 ドアを閉めて、そのまま扉に寄り掛かった。 想うのは、黒髪に金メッシュを覗かせた、あの男の事。 『好きだ』 (あたしの、事を?) あの後、慎の部屋を飛び出した久美子は、家に帰っても上の空だった。誰に何を言われようと、頭の中は真っ白で。 耳元で囁かれた言葉は、今でも頭の中に機械があるかのようにリアルに再生出来た。 (・・・あんな・・・) あんな事、想像出来なかった。 慎の、あんな表情を見た事は無かった。 あれほど気持ちをぶつけて来たのは、自分が退職願を提出した時が最後か? でも、あの時とは様子が180度違う。 静かに、けれど・・・重くぶつけられた言葉。 いつからだ?と久美子は慎との出会いからを思い返す。 最悪の出会いから、信頼関係を築いて、そして今に至っていると思っていた。 いつも隣にいたけれど、彼が心にそんなものを抱えていたなんて。 (・・・あたしはやっぱり何も解っていない) 俯いて目を閉じる。 慎に対してどんな態度で接すればいいのか解らなかった。 「返事・・・してくれ無かったな」 いつも出席は言葉で無く視線で返事を返していた慎は、今日は一度も目を合わせない。 何も言わずにあの目線を自分に向けてくる筈だったのに。 それが、無い。 それだけだ。二人の日常ががいつもの違っていたのは。 けれど、それだけでここまで心苦しくなるものなのかと、久美子は溜息をついた。 (・・・沢田) 息を大きく吸い込んで、目を開けた。 昼休みになって、きっと一人別行動をとる慎は屋上だろうと予想して、久美子は階段を駆け上がっていた。 このままじゃ駄目だと、直感的に思った。 今日は元々数学の授業も無いし、慎と話す機会が少ない曜日だったけれど、だからといって、昨日の事をうやむやにしてはいけない。 右手に巻かれていた包帯も気になる。 何か、慎と話さなければ。 昨日から、身体は熱いままだった。 ゆっくりと扉を開けて屋上を見回した久美子は、そこに黒い影を見た。 フェンスに寄り掛かったまま街を見下ろす慎は、久美子に背を向けて動かない。 「学校・・・来、て・・・くれて良かったよ」 上手く出てこなかったが、やっと言葉を口にする。 けれど、慎は無言で背を向けたまま、その金メッシュを風に揺らしているだけ。 ちくり。 久美子は慎の全身から発せられる雰囲気が、やはり今までと違うと思った。きっと、昨日の今日で気まずいのだろう。 自分だって、接し方なんて解らない。どんな顔して会えというのか。 結局顔に、いつもより少しだけ固い笑顔を無理矢理貼付けて話しかけたが、胸に針を刺したような感触を感じる。 今日は、慎に会ってから一度だって口を聞いていない。 「沢田・・・」 目が合ったのは一瞬だった。 振り向いた、慎の視線の先に、自分はどう映っているのだろうか? 寒気がするほど、何も映っていない・・・暗い色の瞳。 ぞくり。 身体の芯が、凍り付いたように固まった。 (さ、わだ・・・) 名前を呼ぼうとしたが、動いているのは口だけで、それが声になる事は無かった。 そして、慎はすたすたと何も言わずに、久美子の横を通り過ぎた。 言葉が、出ない。 久美子は、寂しく響いたドアの閉まる音を、立ち止まって聞いていた。 もうすぐ、初夏だというのに、風は冷たく心に吹き付ける。 胸が痛い。 鼓動が早い。 身体が熱い。 不意に、視界がぼやける。 ずしりと胸が重くなったような、それでいて心に穴が開いたような空虚感を覚えた。 (・・・ああ) 凄く、嫌だった。 独りになりたがるのを見るのが。 もっともっと頼って欲しかった。 だから、我慢出来なくて部屋に行った。 いつも教室の一番後ろにいて欲しいから。 告白されるなんて思ってもみなかったけれど。 (違う・・・!!) そうじゃ、無い。 違うんだ。 そんなんじゃない。 気付いて、しまった。 『一人にしてくれないか』 それを聞いてあんなにも寂しくなったのは。 冷たい目線で射られてこんなにも心が痛いのは。 (あたしが・・・一人にされたくないだけなんだ・・・) とてもとても・・・簡単な理由。 自分が、一人になりたくないだけ。 隣に居て欲しかっただけ。 それが、やっと気付いた久美子の本音だった。 next |
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