自分の中の、沢田慎の割合を測る道具なんて、この時は持っていなかった。











be my last...











 音程の外れた兄弟仁義を口ずさみながら、久美子は職員室で自分の机の上の資料の整理をしていた。
 自分の歌声に陶酔しきって、突然呼ばれた天敵からの嫌味な声にも気付かないでいると、若い頃鍛えたという腹筋をこれでもかと力を入れた声で名を叫ばれた。

「やっ!まっ!ぐっ!ち!せっんっせー!!」

 びくん、と身体か反応し、鼓膜に響いた気がして久美子は無意識に眉を寄せる。
「なななっ!なんですか教頭!」
「貴女があまりにも気持ち良さそうに音を外しているので邪魔したくなったんですよ」
 人を小ばかにしたような物言い。退職騒ぎの一件から、教頭は単に用も無く久美子に絡んでくる事も多かった。もはやこの男とは悪友という仲なのかもしれない。
「教頭、皆驚いてるじゃないですか!異常な声の発声練習はもっと広いところで・・・」
 立ち上がって対抗した久美子に、教頭は再び嫌味で返すのかと思えば、一変して真剣な顔を見せる。

「沢田慎が5日間学校に来ていないのはどういう事ですか」




 久美子が担任になって、一番変わったのは、沢田慎だ。
 学校に気まぐれでしか来なかったあの問題児は、いつの間にか毎日登校する様になっていた。教頭や他の教師に対しても、今までのように無言で敵意をむき出しにする事はなくなって、無愛想だが返事が返って来るようになった。

 昔の、野性動物のような他人を寄せ付けないオーラが解けて、穏やかになった、と言うべきか。

 そして他人の為に結果的に問題を起こしてしまっていた少し前とは違い、何も起きないように、クラスや担任を見守るように振舞い始めていた慎が学校を連続欠席。
 久美子への小言の回数も減ってきた最近だっただけに、教頭は頭を抱えた。




「連絡は・・・あったんです。調子悪いとか言って」
「本当ですか?」
 念を押して、聞き返すと久美子は一瞬だけ視線を下方に寄せる。
「大丈夫です!そのうち来ます、良くなったら。沢田も、体調を崩す時だってありますから」
「そのうちって・・・」
「3Dの奴らにアパートに様子見て言って貰ってますし」
「・・・解りました。くれぐれも!気をつけてくださいね」
「はい」

 踵を返した教頭を見送り、久美子は腰をおろして再び資料整理を始めた。
 けれど、動き始めた手はすぐに止まる。
(沢田・・・)
 少し前から様子がおかしいのは気付いていた。
 体調が悪いのは、不摂生な食生活のせいかもしれないと、何度も自宅に食事に誘ったが、首を縦に降らない。一時期、退職騒ぎの直後には三日に一回は大江戸一家の門をくぐっていた筈なのに。
(・・・何があったんだよ)






『悪い。一人で静かにしたいから、来ないでくれないか』

 欠席の初日、くぐもった声で電話に出た彼は、久美子が見舞いに来るであろう事を見越してきた。
「でも沢田」
『大丈夫だよ、なつみもクマ達もたまに来るし。いちいち生徒の見舞いに駆け付けんのも億劫だろ』
 慎は、自分が邪魔だから来るなと言っている訳では無かった。
 実際、慎の口調は穏やかで。けれど、こんな風に拒絶されたのは初めてだった。少しだけ空虚感を感じる。
『・・・俺だって、行きてぇよ』
「え?」
『たまには大人しく・・・待ってろ』
 そんな風に一方的に告げて、慎は電話を切った。






 結局慎は五日間学校を欠席して、久美子とも顔を合わせていない。
 何かあったのかと思っても、彼は何も言わない。熊井達も知らぬ存ぜぬを通した。


「・・・慎は大丈夫だよ」
 教室でも、そんな久美子の様子を嗅ぎ取って、紙パックのジュースを手にした内山が声をかけた。それでも久美子の表情は晴れない。
「あいつ・・・お前らに弱み見せてるか?あたしには、まだ・・・見せてくれてない。お前らは沢田が休む理由を知ってるのか?」
 電話での彼は穏やかだった、筈だ。
 でもあれから五日。登校する気配すら見せず、連絡も取っていない。
 久美子も途方にくれた。彼は、何かをまた一人で抱え込んでいるのだろうか。
「詳しくは言わないよ・・・慎は。でも慎にも色々あるし。心配なくても大丈夫」
「・・・内山」
「俺ら慎の事信頼してるし?気持ちの問題だと思うけど」
「・・・うん。あたしだって沢田の事は信頼してるよ。でも・・・あたしに何か相談してくれたっていいじゃないか。最近じゃ家に来いって言っても最近は来ないし」
 内山はそれを聞いて少しだけ目を見開き、長い指を自慢の金髪に絡める。
 久美子はそれと同時に教卓に頬杖をついた。上目使いで内山を見つめる瞳は少し揺れている気がした。
「・・・慎ってヤンクミの家にそんなに行ってたの?」
「え?・・・ああ」
 内山は久美子から目を逸らすと、溜息をつく。慎が大江戸一家に出入りしているのは知っていたが、そこまで頻繁に通っていたとは意外だった。

「やっぱり全員揃っていて欲しいんだ。クラスは。一番目が行く沢田の席に誰もいないのは嫌なんだよ。心配なんだよ」
「・・・ヤンクミ」
(・・・慎が、やっぱ特別なんじゃん)
 内山はストローを咥えて、手にしていたジュースをごくりと飲みこんだ。






















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